梅津元(埼玉県立近代美術館学芸員)「ギャラリーレビュー:ササキットム/ギャラリーαM 」,『美術手帖』,2002年3月号, p.201> 

 

 基本的に同タイプの絵画で構成された展覧会なのだが、そのうちの一枚から強い感覚が喚起された。その絵の第一印象は滝。それも、横方向から見た滝。別にこの絵が風景画だといいたいわけではない。滝という印象によって喚起された、特異な空間把握と動的な感覚についてこそ、ここで問題としたいのだ。まず空間について。その絵は緑の色調に支配されている。緑の色調は樹木を連想させる。緑は色の濃淡や輪郭の曖昧さ、または層状に見え隠れする効果によって、パースペクテイヴを伴わない、奥へと開かれた空間をもたらしている。奥への距離は測定不能である。たとえていえば、全体を俯瞰しうる視点からの眺めではなく、緑に囲まれながら視界が開かれる方向はどちらかと四方を眺め回しているような視覚のあり方にも感じられる。絵画の空間は閉じているようだが、観者の視覚は奥へと開かれた空間を経験するだろう。次に動的な感覚について。画面左側に、上から下へ、少しだけ右方向斜めに、緑がかった白のストロークが走っている。白の強いストロークは流れ落ちる滝を連想させる。滝は流れ続けていても、視界に入る風景の構図はほとんど変化しない。だから一定の速度で水が落下しているという状況が連想され、刻々となにかが起こっているという感覚が強く喚起される。絵画の時間は止まつているが、観者の視覚は動的な時間の流れを経験するだろう。

 不思議なことに、同様の空間把握と動的な感覚は、程度の差こそあるものの、会場に展示されたほぽすベての絵画からも得られた。滝に見えた一枚だけが特別なのではなく、最初にこの感覚を喚起したのである。この共通する感覚は、比喩的ないい方が許されるなら、「世界が音を立てて崩れているのにその音が聞こえない」ような感覚である。混沌と明晰が分裂的に同居するかのようなその画面は、すでにオリジナルな質を十分に湛えている。